その他、英国グラムロックで有名なのはロキシー・ミュージック、モット・ザ・フープル、スウィート、スレイド、シルヴァーヘッド、ゲイリー・グリッター辺り。下手すると、クイーンもデビュー時はグラムっぽかったりもする。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
グラムとして一括りでジャンル化されてはいるものの、実際のところ共通しているのは、男性が濃いメイクをしていて派手なファッション、ビジュアルからくるグラマラス(glamorous)なイメージ。
わかりやすい例で言えば、デヴィッド・ボウイは、男性か女性か(人間か)わからない中世的なイメージでリンゼイケンプに影響を受けたシアトリカルな演出。
ある意味、見た目を特徴としている為、その後のロックファッションやメイク等に多大な影響を与えた。
誕生した背景には、1960年代後半にはLed Zeppelin、Black Sabbath、KING CRIMSON等、演奏力の高いハードロックや、曲の構成も複雑なプログレッシブロック等が流行しており、ある意味1970年代の後半にパンクロックが登場と似ていて、シンプルでわかりやすく取っつき易いキャッチーな楽曲など、ある意味ハードロックやプログレのカウンターとも言えると思う。
また米国のアンディ・ウォーホルの先鋭的なアートやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、アリス・クーパー等の派手な演出により人気を博していたアーティスト、その他ボードレール等に代表されるデカダンス(耽美主義)の影響もあるだろう。
デヴィッド・ボウイがいなければ、JAPAN、BAUHAUS、ニューロマンティックムーブメント(Duran Duran、VISAGE、Adam and the Ants)、Culture Clubは存在しなかった可能性すらある。日本では、ビジュアル系と言われたバンドは間違いなく影響を受けているだろう。
David Sylvian https://ukrock1977.work/category/21126008-1.html
Duran Duran https://ukrock1977.work/category/22259200-1.html
映画ベルベット・ゴールドマインで当時の状況がわかりやすく描かれている。
![]() |

1970年代後半には、グラムロックムーブメントは失速し、次にパンクロックムーブメントが来るが、ある意味パンクロックもファッション的には破れたガーゼシャツ、Tシャツ、ジーンズ等、華美であったグラムロックのカウンターとも言えると思う。
その後に出てきたBAUHAUSは、グラムとパンクの両方から影響を受けていると言える。
BAUHAUS https://ukrock1977.work/category/11288527-1.html
まずは、T.REXから見ていこう。
![]() |

今回は久しぶりに1960年代後半に遡って、ティラノサウルス・レックス。
■アルバム
・ティラノサウルス・レックス登場(1968)
・神秘の覇者(1968)
・Unicorn(1969)
・ベアード・オブ・スターズ(1970)
もちろん、ティラノサウルス・レックスと言えば・・・
マーク・ボラン(Marc Bolan、1947年9月30日 - 1977年9月16日)ですが、T.REXじゃないんですね。
ティラノサウルス・レックスからT.REX(Tレックス)に名前を短くし、サウンドもより、ゴージャスにキャッチーになって行きます。
1970年代前半には、デビッド・ボウイと共にグラムロックの大ブームを作りだすことになります。
![]() |

https://ukrock1977.work/category/11288520-1.html
前に取り上げたジャパンにしても、バウハウスにしてもグラムロックの影響を抜きにしては語れませんし、その2バンド以外にも、グラムロックの影響は測りしれないものがあります。
![]() |
![]() |
https://ukrock1977.work/category/11288524-1.html
https://ukrock1977.work/category/11288527-1.html
さてティラノサウルス・レックス自体は、ジョンズ・チルドレンのマーク・ボラン(アコースティック・ギター&ヴォーカル)。
![]() |

スティーヴ・トゥック(パーカッション)の二人組で、神秘的なフォークロック・グループとしてカルト的な人気を誇りました。
1968年にデビューアルバム「ティラノザウルス・レックス登場」をリリース。
全英15位のスマッシュ・ヒットを記録します。その後、次々にアルバムを発表し、新しいパートナーにミッキー・フィンを迎え、エレクトリック・ギターを導入したのは1970年でした。
アルバム・ジャケットとサイケデリックなフォークサウンドが幻想的な雰囲気を醸し出しています。マーク・ボランの独特な声が魅力的です。
![]() |

「サラマンダ・パラガンダ」など曲名からして、マーク・ボランの摩訶不思議なセンスが感じ取れるユニークな曲が並んでいます。
![]() |
![]() |
スティーブからミッキー・フィンにメンバーが変わり、エレクトリック・ギターを取り入れた意欲作。
![]() |
![]() |
1970年末にバンド名を「ティラノサウルス・レックス」から「T.Rex」に短縮。
T.REXは「ライド・ア・ホワイト・スワン」がヒットし新しいファンを獲得。
1971年にスティーヴ・カーリー(ベース)、ビル・レジェンド(ドラム)が加入、「電気の武者」がUKチャートで1位を記録する大ヒットとなり、スターの仲間入りをします。
「ゲット・イット・オン」、「テレグラム・サム」、「メタル・グルー」、「チルドレン・オブ・ザ・レヴォリューション」、「イージー・アクション」などT.REXを代表する名曲を次々と発表し、魅力的なジャケットのアルバム「ザ・スライダー」も連続して大ヒット。
デビッド・ボウイと共にグラム・ロックムーブメントとしてイギリスのみならず欧州・日本でも一大ブームを巻き起こします。
![]() |

1973年には「20センチュリー・ボーイ」「ザ・グルーヴァー」「トラック・オン」、アルバムは「タンクス」「グレイト・ヒッツ」をリリース。(ちなみに私が最初に買った洋楽のレコードは、「グレイテスト・ヒッツ」)
余談ですが「20センチュリー・ボーイ」は日本の東芝EMIのスタジオでレコーディングされました。
漫画の「20世紀少年」が大ヒットし、映画化されたりしていますのでその際に初めてT.REXに出会った方も多いかも。
不思議なのは、1973年位までは曲が輝いているというか・・
プロデューサーのトニー・ビスコンティの手腕もあるとは思いますが、魔法が掛かっているかのような魅力があることですね。
1974年以降は、グラムロックも下火になりますが、コンスタントに作品をリリース。
そして・・1976年からパンクの新しい波が生まれてくる中で、マーク・ボランは積極的にダムドなどのパンクバンドを紹介するなどパンクロックの波及にも貢献していたのでした。
![]() |

https://ukrock1977.work/category/11525827-1.html
パンク・ムーブメントが起こる中で、再び英気を取り戻したのか1977年に力作「地下世界のダンディ」をリリースし、復活の兆しを見せていた矢先に・・・ロンドン郊外のバーンズにおいて自動車事故で世を去ります。(1977年9月16日)
自動車は愛人のグロリア・ジョーンズが運転し、マーク・ボランは助手席に乗車していました。
マーク・ボランは以前魔女と同棲していて、その魔女に「あなたは若くして大成功を収めるが、30歳までに血まみれになって死ぬだろう」
と預言されたという話があります。
そのためか・・「僕は30歳まで生きられないだろう」と冗談ぽく語っていたと言う話もありますが、実際にその話は現実となり30歳の誕生日の2週間前に天国へと旅立っています。
・T.Rex(1970年)
・電気の武者/Electric Warrior(1971年)
・ボラン・ブギー/Bolan Boogie(1972年)
・ザ・スライダー/The Slider(1972年)
・タンクス/Tanx(1973年)
・ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー(1974年)
・ブギーのアイドル/Bolan's Zip Gun(1975年)
・銀河系よりの使者/Futuristic Dragon(1976年)
・地下世界のダンディ/Dandy In The Underworld(1977年)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

・・どうでもよい話ですが以下のアルバムタイトルの長さには驚きです。
日本で仮面ライダーの番組を見て衝撃を受け・・タイトルに付けてしまったとか面白い話もありますが・・これも、マーク・ボランの独特のセンスなんでしょうね。
・Zinc Alloy And The Hidden Riders Of Tomorrow Or A Creamed Cage In August(ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー)
ティラノサウルス・レックスの時のデビュー作のタイトルも衝撃の長さ。
・My People Were Fair And Had Sky In Their Hair,But Now They're Content To Wear Stars On Their Brows・・長いっ!!
(邦題は、ティラノサウルス・レックス登場(笑))
■関連映像
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■関連書籍
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は、デビッド・ボウイ。
イギリスで1970年代前半、グラムロックのムーブメントが起こり、T.REX、デビッド・ボウイ、スレイド、スウィート、シルヴァー・ヘッド、ゲイリー・グリッター辺りがグラムロックで有名なアーティスト。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
余談ですがデビッド・ボウイとT.REXのマーク・ボランは個人的にも親しかったようです。
1947年1月8日イギリスのブリクストンに生まれ。10歳のときに友人とのケンカが原因で左目の視力をほぼ失う。
1964年に「ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ」名義で音楽活動を開始するもののヒットに恵まれず、次々と名前を変えることに。
1966年に「デヴィッド・ボウイ」という芸名で活動を開始。
※所説あるものの、芸名はアメリカ製の有名なボウイ・ナイフから引用したという話もあります。
■アルバム
・ David Bowie (1967年)
・ Space Oddity (1969年)
・ The Man Who Sold The World (1971年)
・ Hunky Dory (1971年)
・ Ziggy Stardust 1972年)
・ Aladdin Sane (1973年)
・ Pin Ups (1973年)
・ Diamond Dogs (1974年)
・ Young Americans (1975年)
・ Station to Station (1976年)
・ Low (1977年)
・ Heroes (1977年)
・ Lodger (1979年)
・ Scary Monsters (1980年)
・ Let's Dance (1983年)
・ Tonight (1984年)
・ Never Let Me Down (1987年)
・ tin machine (1989年
・ tin machine II (1991年)
・ Black Tie White Noise (1993年)
・ The Buddha Of Suburbia (1993年)
・ Outside (1995年)
・ Earthling (1997年)
・ hours... (1999年)
・ heathen (2002年)
・ Reality (2003年)
・ The Next Day (2013年)
・ Blackstar (2016年)
1967年デビューアルバム「デヴィッド・ボウイ」を発表。
ジャケットのデビッド・ボウイは、ちょっとローリング・ストーンズのミック・ジャガーと似ている気もしますが、ジギ―を演じているボウイと比べると・・・やや地味な印象がありますね。
![]() |

また1968年にはリンゼイ・ケンプの元でパントマイムの腕を磨いて舞台にも立ったことは有名です。
![]() |

1969年、アルバム「スペイス・オディティ」リリース。シングル「スペイス・オディティ」はUKチャート5位、全米チャート15位まで上がり注目を集めるようになります。
![]() |
![]() |
妖艶なジャケットで中世的な魅力を発揮。
1970年といえば・・マーク・ボランもティラノサウルス・レックスからT.REXと名前を変えた時期であり、段々と時代はグラムロックへと向かい始めます。
https://ukrock1977.work/category/27546925-1.html
https://ukrock1977.work/category/11288521-1.html
![]() |
![]() |
1970年、バック・バンドにミック・ロンソン(ギター)が加わりデヴィッド・ボウイの名を世界に知らしめたアルバム「世界を売った男」をリリース。
![]() |

ミック・ロンソン※と共に、70年〜73年と短いながらも煌びやかなグラムロックの一時代を築いていくことになります。
※ミック・ロンソン デヴィッド・ボウイのギタリストとして知られるミック・ロンソンの生涯に迫るドキュメンタリー映画
『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』が2019年に日本でも公開され密かに話題となりました。
公式サイトhttps://besidebowie-movie.jp/
![]() |

まだジギ―というキャラクターを演じる前ですが、チェン1971年「ハンキー・ドリー」をリリース。チェンジズなど良い曲が多く、密かにファンからの評価は高いアルバムです。
![]() |

1972年いよいよシングル「スターマン」、アルバム「ジギー・スターダスト」をリリースします。
デビッド・ボウイはフランスで活躍したロックン・ローラーの「ヴィンス・テイラー」をモデルとして架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を演じるようになります。
![]() |

リンゼイ・ケンプの演出による1年半のツアーを成功させて、グラムロックの大スターとなりロック・スターとしても確固たる地位を築きあげました。
1973年には予約だけで10万枚を突破した「アラディン・セイン」をリリースし、同時にUKチャートの1位を記録。
ただし・・1973年7月3日、イギリスでの最終公演を最後に、「ジギー・スターダスト」のキャラクターにピリオドを打つことでグラムロック自体が段々と終息していきます。グラムロックの終焉と共に盟友マーク・ボランのT.REXも次第に失速していくことに。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
次にデビッド・ボウイは、カバーアルバム「ピンナップス」をリリースし、バックバンドの「スパイダーズ・フロム・マーズ」を解散させ、盟友ミック・ロンソンとも離れることになります・・・
![]() |

1974年コンセプト・アルバム「ダイアモンド・ドッグス」をリリース。
ジョージ・オーウェルの小説「1984年」やウィリアム・バロウズに触発されて作られたアルバムでしたが、オーウェルの遺族から正式な許可が下りず、「1984年」という言葉の使用や舞台化も許さないという制約があったようです。
1974年6月の北米ツアーでは、ロック史上空前の巨大な舞台セットを導入し話題となりました。
![]() |
![]() |
1975年「ヤング・アメリカンズ」をリリース。ジョン・レノンとの共作「フェイム」は初の全米1位を獲得。
その後、映画『地球に落ちてきた男』の撮影しています。
![]() |
![]() |
1976年「ステイション・トゥ・ステイション」をリリース。
![]() |

1977年〜1979年は元ロキシー・ミュージックのブライアン・イーノとのコラボレーションで「ベルリン三部作」と呼ばれることになるアルバム「ロウ」「英雄夢語り」「ロジャー」をリリース。
またこの時期にデビッド・ボウイは、「ジギ―」次の架空キャラクター「シン・ホワイト・デューク」(痩せた青白き公爵)を演じるようになります。この頃の作品は、米国音楽から再度欧州志向に戻り、極めて欧州的な感性に満ちた斬新なサウンドとなっています。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
1980年アメリカに戻ったデビッド・ボウイは、ニューウェーブ的な色合いを打ち出したのアルバム「スケアリー・モンスターズ」をリリース。
![]() |

1983年、売れっ子プロデューサーのナイル・ロジャースを起用し「レッツ・ダンス」をリリース。
ジャケットの写真といいこれまでのイメージを覆す内容ですが、アルバムはキャリア最大のヒットとなり、米国でファン層を拡大します。
翌年 「トゥナイト」をリリース。
![]() |
![]() |
1987年 「Never Let Me Down 」をリリース。
![]() |

移り変わりの激しい音楽業界での生き残りは非常に難しいものの、「ジギ―」、「シン・ホワイト・デューク」(痩せた青白き公爵)など次々と新しいキャラクターや、他のミュージシャンとのコラボレーション、時代のサウンドを取り入れながら常に話題を提供していったデヴィッド・ボウイ。
80年代には、キャラクターを脱ぎ捨て新たなイメージを打ち出したレッツ・ダンスの世界的なヒットの後に本人自身も認めている様に、ソングライターとして深刻なスランプに陥っていたようだ。
その一つの解決手段だったのが、ロックバンド「ティン・マシーン」の結成だったのだろう。
![]() |

90年代は、ティン・マシーンUで幕を開ける。
僕の中ではインパクトのある作品だった。一曲目のベイビー・ユニバーサルから強烈な印象を持っている。
リーブス・ゲイブレルスのギターもグラム時代の雰囲気も醸し出しながらアバンギャルドなリードギターを弾いており結構気持ちいい。
![]() |
![]() |
![]() |

そして、日本では未発売ながらもボウイ自身は非常にお気に入りというソングライターとしての自信を取り戻したと語っている「The Buddha Of Suburbia」。
この作品は、トルコ人のアーダル・キルジケイというミュージシャンと二人だけで作った作品であったが、BBCのためのサウンドトラック盤ということもあり話題にはならない作品だった。
![]() |
新品価格 |

しかし16年ぶりにブライアン・イーノをプロデューサーに迎えた「アウトサイド」は、近未来的なイメージをコンセプト化したようなアルバムで刺激的なサウンド作りに成功していた。
イーノと組んだ要素も大きいとは思うが、サウンドを聴いていると異世界へ意識が移ってしまうような曲作りに成功している。まさに再生を思わせるアルバムだった。
ジャケットのボウイ自身のイメージからも連想できるが結構ダークでスピード感のある刺激的な曲も入っており、僕からするとBAUHAUSに近い感覚を持った印象の曲もある。「ハロー・スペース・ボーイ」、「セグエ〜ネーサン・アドラー」などがそうだ。
![]() |

そして、彼は47年生まれだから50歳にして発表した意欲作「アースリング」は、ドラムン・ベースなど新しいダンス音楽を取り入れながら勢いのある作品だ。
1曲目の「リトル・ワンダー」から刺激的なバックサウンドに、いかにもボウイといったボーカルとメロディが絡み合うあたり、非常に時代の取り入れ方が上手いと思う。リーブス・ゲイブレルスのギターもアバンギャルドでいい。
![]() |

99年の「アワーズ」は、一曲目のサーズデイズ・チャイルド から最後まで、アウトサイドや前作のアースリングとは違い落ち着いたリラックス感のあるアルバムだ。
![]() |

そしてT.REX等のグラム黄金期のプロデューサーとして有名であり、70年代のボウイを支えたプロデューサーでもあるトニー・ビスコンティと22年ぶりに組んだ会心作がヒーザンだ。
2002年発表のため、非常に緻密で深みのあるサウンドが構築されている。アウトサイドやアースリングよりも、ボウイの歌が重視された70年代的な印象も受ける現代的な作品を作り出している。スロウ・バーンなどの曲は、ジギー・スターダストの頃の曲と言ってもわからないかもしれない。
![]() |

そして、翌年立て続けに発表された「リアリティ」。そして8年ぶりにワールドツアーが実施された。
![]() |
![]() |
■隠遁生活に入る前の2003年夏に行われたデビッド・ボウイインタビュー(インタビュー:ウェス・オーショスキー)
参照:NEVER GET OLDより一部抜粋 https://www.steinway.co.jp/news/features/never-get-old-david-bowie
●アルバム『リアリティ』の最初の曲、『ニュー・キラー・スター』にはバッテリー・パークが登場しますが、これは9.11同時多発テロに触発された作品ですね。
そのとおり。すべてのことが起こった町に実際に住むというというテーマを中心に展開する、印象に基づく作品だ。そこから、実証主義的な感覚を持つ何かを引き出そうとしているんだ。家族を持っているということ、しかも3歳の娘を持っているということが、このアルバムを貫く実証主義の源になっている。今後は出来る限り実証主義を試してそれを取り入れることが本当に大切なことだと思っている。僕は自分のことだけでなく娘のことも考えなければならないので、未来に関してネガティブな考えに耽ることに意味は無いんだ。
●ニューヨークにはどれくらい住んでいますか?そして、ニューヨークに住むことはまだインスピレーションの源になっていますか?
そうだね。10年くらい前からここに住んだり、住まなかったりしていた。皮肉なことに、数えてみると故郷のロンドンを含め世界の他のどの都市よりもずっと長くニューヨークに住んでいるんだ。すごいだろう。何年もの間、1年か1年半単位でここに住んでいたが、ここ10年は素晴らしいことに、本当に僕のホームグラウンドになっている。僕がティーンエイジャーだった頃、ニューヨークはディランやアレン・ギンズバーグ、ビートニク、コーヒーバー、初期のロックミュージックを象徴する場所だった。ここ、特にダウンタウンやグリニッジ・ヴィレッジは憧れで、やってみたいことが沢山あった。いつかニューヨークに行くのが夢だった。そしてその夢の続きは、マンハッタンにアパートを持つというものなんだ (笑)。そして僕は今、ここにアパートを何棟も所有している。
●トニーと言えば、アルバム『ヒーザン』以降、あなた方2人は新たな次元に入ったような印象を受けます。今後もこういった形で活動を続けるのですか?
そうだね。僕たちが『ヒーザン』 (ISO /コロムビア]をリリースした時の繋りは、決して一時的なものではなかった。僕たちは本当に優れたものを作り出すだろうということが分かっていた。どんなものになるかはまったく分からなかったが、それでエンジンがかかったと思う。
『リアリティ』では、僕たちがいつもそうしていたように、独特のサウンドと他の誰の作品とも違う面白い構成を生み出すことに全力を注いだ。それは紛れもなくボウイ/ヴィスコンティの作品であり、僕たちが一緒に仕事をすると特別なものが生まれるんだ。
うまく表現するのは難しいんだが、僕たちが一緒に仕事をすると、誠実で面白い本当に良いものを生み出していると思う。本当に申し分なく、そして非常にエキサイティングだった。僕たちはすでに次のアルバムについて話し合っている。
そして、僕はこのツアーを終わらせなければならない。僕たちがアルバムをリリースする時は常に「これは素晴らしい作品だ」と思っているが、レコーディング最終日にファイナルミックスを聴いてそれを判断する。
そして、その時にお互いを見て、「これは本当に成功だ」と言うことが大切なんだ。ぶっちゃけた話、リリース後はどうなっても構わない。例えば、「ロウ」や「ヒーローズ」みたいなアルバムはそれほど売れなかった。
つまり(笑)、あれらのアルバムは大ヒットにはならなかったが、ファイナルミックスを聴いた時に、いかに重要で素晴らしいか僕たちには分かった。「あれは一流の作品だった」と言える限り、後に起こることは言ってしまえば全部おまけみたいなものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、10年間の沈黙。もはや引退かと思われていたボウイが2013年に電撃的に復活しリリースしたのが、ある意味名作ヒーローズのパロディの様な衝撃的なジャケットの「ザ・ネクスト・デイ」。
![]() |
![]() |
今回もトニー・ビスコンティと組んでいる。だが、曲は斬新でアバンギャルドでもありボウイらしいバランスの良いアルバムとなっていて僕は大好きだ。1曲目のタイトル曲からキング・クリムゾンにも通じるアバンギャルドな曲が展開されている。(なぜか、日本版のみボーナストラックが入っているのも面白い。)
そして最後の作品。アルバムは、自身初の米ビルボード・アルバム・チャート1位を獲得、UKのセールス・チャートでは3週間1位。病と闘いながらもボウイが69歳で亡くなる2日前の1月8日にリリースされた「ブラックスター」。
![]() |

※2016年1月10日に家族に囲まれ安らかに亡くなったとのことです。
ご冥福をお祈りいたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
LPのグラフィック・デザインを手がけたジョナサン・バーンブルックは、隠されたメッセージはまだ全て明らかになっていないとBBC Radio 6のインタビューで明かした。
※デヴィッド・ボウイのラスト・アルバム『★』にさらなる秘密か?(参照billboard japan NEWSより一部抜粋)
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/44278/2
アルバムには表紙の五芒星だけじゃなく、他にも幾つかのブラック・スターがあるよ。それらは人生の様々なことを象徴しているんだ。
例えば値札のようにも見える花形(rosette)があって、このアルバムがそれでもやはり商品であることを意味している。
購入するものなんだ。人を導く星もあって、これは人生の師となる人や音楽がもたらすスピリチュアルな何かといった概念を表している。
表に完全には現れていない様々な意味が隠されているから、多くの人に発見してもらいたいね。それも今すぐにではなく。
■関連映像等
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

![]() |
![]() |
![]() |
■関連書籍
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

■楽譜、バンドスコア
![]() |
![]() |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は、ロキシー・ミュージック。
・ROXY MUSIC (1972年)
・For Your Pleasure (1973年)
・Stranded (1973年)
・Country Life (1974年)
・Siren (1975年)
・Manifesto (1979年)
・Fresh + Blood (1980年)
・Avalon (1982年)
グラムといっても、T.REXとデビッド・ボウイはかなり音楽性も違うし、丁度彼らのデビュータイミングがグラムの全盛期で、デビッド・ボウイの前座をしていたこともあり、衣装も派手な感じだったのでグラムか。。
それはさておき・・ブライアン・フェリーを中心にバンド(当初Roxyだった)が結成され、メンバー・チェンジを繰り返しながら、ロキシー・ミュージックに。
1972年6月にキング・クリムゾンで作詞家を担当しているピーター・シンフィールドをプロデューサーとしてアルバム「ロキシー・ミュージック」をリリース。いきなり全英チャート10位となり、シングル「バージニア・プレイン」も4位を記録。
その特異なビジュアルとサウンドで注目を集める中、アリス・クーパーやデビッド・ボウイのツアーでサポートを務めて一気に人気バンドと
なっていきます。
![]() |
新品価格 |

1973年「フォー・ユア・プレジャー」をリリース。こちらもUKチャートの上位に入ります。
![]() |
新品価格 |

しかし、1973年6月に人気の高かったブライアン・イーノが突然の脱退。
本当かどうかはさておき、ふたりのブライアンはいらないとか、ふたりの
ノン・プレーヤーはいらないとか・・そんな話もあったようです。
さて1973年11月にはアルバム「ストランディッド」をリリースし、
初の全英1位となります。このアルバムから元カーヴド・エアーの
エディ・ジョブソン(Key、violin)がバンドに加入し、全英、
ヨーロッパツアーを敢行します。
ちなみに、私が彼らの曲で一番好きな曲はA Song For Europeです。
![]() |
新品価格 |

1974年「カントリー・ライフ」をリリース。全英3位とヒットを記録します。
有名なジャケットですが、かなり物議をかもしだしたようです。
各国の対応ですが、米国では袋入りで発売、カナダでは女性2人がジャケット
から消され、ドイツでは1人の顔だけをアップになど様々な(笑)対応が
とられたようです。ちなみに右側の女性は、もと男性だそうです・・
![]() |
新品価格 |

![]() |
ロキシー・ミュージック Tシャツ/Country Life/ AQ-114S 新品価格 |

1975年「サイレン」をリリース。全英4位となります。
シングル「恋はドラッグ」も全英2位となりました。
この頃からようやくアメリカでも注目を浴びるようになり、
シングルはアメリカでもトップ30に入るスマッシュヒットを記録。
![]() |
新品価格 |

しかしこの頃は、ブライアン・フェリーをはじめ、フィル・マンザネラ(ギター)、
アンディー・マッケイ(サックス)のソロ活動が活発になっており、1976年6月に
ロキシー・ミュージックの解散が発表されます。
そして1976年7月 にラストアルバムとして、ライブ録音の
「VIVA! Roxy Music」をリリースします。
![]() |
新品価格 |

一旦解散したものの、1978年にブライアン・フェリーが再結成を呼び掛け
1979年3月に「マニフェスト」をリリース。全英7位のスマッシュヒットを記録します。
またシングル「ダンス・アウェイ」は初の全英1位となりました。
![]() |
新品価格 |

1980年5月「フレッシュ・アンド・ブラッド」をリリース。全英1位となり、
アメリカでも注目を集めました。
![]() |
新品価格 |

1982年5月には、彼らの最高傑作と呼び声の高い「アヴァロン」
をリリースし、このアルバムも全英1位となりました。
大規模なワールドツアーも成功を収めますが、ツアー終了と同時に
活動を終了させます。(1983年には来日公演も行われました。)
![]() |
More Than This (1999 Digital Remaster) 新品価格 |

![]() |
新品価格 |

![]() |
新品価格 |

![]() |
Virginia Plain (1999 Digital Remaster) 新品価格 |

![]() |
新品価格 |

![]() |
新品価格 |

![]() |
Thrill of It All: A Visual History 1972-1982 [DVD] [Import] 新品価格 |

![]() |
中古価格 |
